【新唐人2016年3月2日】
2010年、相次ぐ従業員の自殺に悩むフォックスコンが国際で広く知られるようになりました。同年5月まで、わずか4ヶ月の間に12名の従業員も飛び降り自殺をしたと言われました。一方、従業員の他殺疑惑も浮かびました。
ホンハイ会長 郭台銘
「今日、ビルから突き落とされたり、脅されたりするのではと正直不安ですが、企業責任という面からこの責任を負わねばなりません」
「ビルから突き落とされる」。この意味深な言葉が意味することとは?実は、この飛び降り事件には「他殺」の疑惑が、ずっと付いて離れません。大陸メディアの報道によると、飛び降り事件の内、少なくとも2件は死体に生前のものと見られる傷が見つかりました。現場で凶器が発見されたケースさえあります。
その後、郭氏は死者の家族慰問や、従業員の昇給など対策を打ちましたが、それでも自殺事件が相次いでいました。
フォックスコンは台湾ホンハイ精密工業の子会社です。「台湾、委託生産の父」と呼ばれる郭会長は、1988年に、広東省深圳に工場を建設。世界の工場で知られる中国経済のモデルは、ここから誕生したのです。郭会長が創立したフォックスコンは、2001年12月に共産党支部を設立。大陸で初めて党支部を作った台湾企業となりました。2014年まで、この深圳工場は42万人の従業員を抱え、地元に多大なの利益をもたらしています。
2003年、郭氏は中国で最も貧乏と言われている山西省で10億ドルを投資し、フォックスコン科技工業団地を設立しました。
2006年、また1億ドルでフォックスコン晋城(しんじょう)映画スタジオを建て、ホンハイ名義で1000万ドルの投資をしました。そこで、映画事業にも足を踏み込もうとしていました。
同年7月、18億ドルでエネルギー産業会社を調印し、エネルギー産業にも発進することになりました。また、「世界マグネシウム・アルミ第一王国」、「世界初のクラウド学校」など、原籍が晋城の郭氏は、故郷の医療、教育、科技領域で何千億の投資プロジェクトを実行しました。
しかし、中国での投資は経済的なリスクだけではありませんでした。
2006年、フォックスコンの注文が大量に減ったことがきっかけで、ホンハイと同じく電子産業の中国大陸企業BYD社がホンハイの商業機密と顧客情報等を盗んでいることが発覚しました。
郭氏は中国で訴訟までしましたが、すべて敗訴となりました。当時最前線から引退を考えていた郭氏が、BYD社との訴訟敗訴によって、再び出陣し、「10年のヘルム計画」を立てました。2014年の年末総会での映像で、中国司法体制への怒りは隠せませんでした。
ホンハイ会長 郭台銘
「(中国)人大常委だから、司法を干渉できるのです。私はシンセンから大量に(工場)を別所に移設しようとしたのはなぜかわかりますか?あっちの幹部たちは、ずっと(移動しないように)私に話していますが、この体制がおかしいと私が話しました。政府資源を受けている人間が、人大常委でもあり、そして司法まで干渉できるなんて、またあっち(BYD社)で資料を盗んでも、自分の言うようにコントロールしています。なぜこのような体制がまだかわらないのか?」
2006年以降、郭氏はメイン事業を重慶市に移動させました。しかし、元重慶市トップの薄熙来(はくきらい)の失脚により、ホンハイの移転計画も重大な打撃を受け、郭氏は大いなる損失を背負わなければなりませんでした。中国で商売繁盛させるには、複雑な政治的な立場も考えざるを得ないことが改めて郭氏が認識できたでしょう。
新唐人テレビがお伝えしました。